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最近、各地で地震が多いですね。
2011年の東北大震災の被災者に自分はあたるのですが
今では移住をしているため、なかなか戻ることもないのですが
今回はお盆の間に帰省をしました。
住んでいたところは
帰還困難区域に該当するため
戻ることもないのですが
少し気になって、以前住んでいた場所の近くまで行ってみることにしました。
今の帰還困難区域
高速を使っていきましたが
福島原発側の通路はほぼ封鎖されていて、異様な雰囲気。
バリケードです。
高速から見える家は、もう住んでいる雰囲気は見られません。
周りの木々や草が荒れ放題。
あの時は、みんな帰れると思って出たのですよ。
もう住めないと、誰が予想していたのでしょう。
今も目を覆い隠したくなるような現実が
まだ広がっています。
あの日、私は福島にはいませんでした
ここから少し、2011年当時の話を書こうと思います。
東日本大震災が起きたその日
私は仕事の出張で現地にはいませんでした。
福島にいたのは、子どもたちとペット。
子どもたちは学校などへ避難していました。
でも当時は、今のようにスマートフォンですぐに居場所を確認できる時代ではありません。
電話もなかなかつながらず
どこへ避難しているのか、その場所を特定するまでにも時間がかかりました。
自分が遠くにいて
子どもとペットがどこにいるのか分からない。
あの時の時間の長さは、今でも覚えています。
揺れたあと、原発では何が起きていたのか
地震のあと
福島第一原発では外部からの電源が失われ
さらに津波によって非常用の電源も使えなくなりました。
原子炉を冷やし続けることが難しくなり
その後、原子炉建屋では水素爆発が起きました。
テレビでは原発の映像が何度も流れ
避難する範囲も次々と変わっていきました。
今振り返れば、とても重大なことが起きていたのですが
その時そこにいる人間には
何が起きているのか
この先どうなるのか
どこまで逃げればいいのか
よく分からないまま時間だけが進んでいたように思います。
「しばらく避難すれば帰れる」と思っていた
ようやく子どもたちの居場所が分かり
家族と合流することができました。
その頃はまだ
しばらくすれば家に戻れると思っていました。
放射線についても、当時は情報が錯綜していて
自分には「まだ大丈夫」という説明に聞こえていました。
実際、まだ道路に規制がかかっていなかった時期に
一度家へ戻りました。
家に戻り
必要なものだけを車に詰め込みました。
着替えや、大切なもの。
すぐに生活に必要になるもの。
逆に
テレビや冷蔵庫など
買い替えればいい家電は置いていきました。
あの時は
「少しの間だけ避難する」
そんなつもりだったのです。
まさか、それが長い避難生活の始まりになるとは思っていませんでした。
ペットを置いて避難した人たち
当時は簡単な避難と思っていたので
ペットもそのまま家に残して避難した人がいました。
人が帰らない町。
人が消えた町。
どうなると思います?
恐ろしくて考えたくない。
でも実際、起きたんですから。
避難しなきゃいけなかった飼い主さん。
どれだけ苦しかったことでしょう。
それで心を病んでしまった人もいたと聞きます。
もう何十年経っても
忘れることも
薄れることもありません。
あの時、なかなか避難しない人がいて
取り上げられていました。
「牛の世話をしなきゃならない」
「鶏がいるから」
避難命令が出ているのに、と言われていたけれど
自分に置き換えてみたら
その気持ちは痛いほど分かります。
放射線。
放射能。
帰還困難区域の人たちの家は
津波にのまれたわけでもありません。
家がそこにあるのに
帰ることができない。
それもまた、原発事故の現実だったと思います。
私が家に戻った時
帰宅したとき
家には猫はいませんでした。
しばらく探し回ると
外から現れて
連れて帰ることができたんです。
見つけたときは
本当にほっとしました。
今考えると
ほんの少しタイミングが違えば
一緒に避難することができなかったかもしれません。
十数年後、人が消えた場所にあったもの
そして今回、実際に行ってみると
そこには、人が暮らしていた頃とはまったく違う景色が広がっていました。
手入れをする人がいなくなった場所には
草木が生い茂っています。
人の生活があった場所に
自然がどんどん入り込んでいました。
そして印象に残ったのが
人の気配が少ない一方で
鳥や動物の存在をとても強く感じたことです。
道路を堂々と横切った大きなキジ
写真では撮ることができなかったのですが
福島空港へ向かう途中
驚くほど大きなキジが
堂々と道路を横切っていきました。
人や車を恐れて急いで逃げていく、という感じではなく
まるでそこが自分たちの場所であるかのようでした。
そして鳥のさえずり。
とにかく多い。
街にいるというより
山の中にいるような感覚になるほどでした。
人がいなくなった十数年の間に
そこには人間の生活とは別の時間が流れていたのだと思います。
人を除いた生態系
かつては人が住み
車が走り
庭の草を刈り
家から生活音が聞こえていた場所。
そこから人だけがいなくなり
草木が伸び
鳥が鳴き
野生の動物が歩く。
言い方が難しいのですが
人を除いた、ひとつの生態系が
そこに出来上がっているように感じました。
もちろん
「自然が戻った」
と簡単に言っていいのかは分かりません。
なぜなら
そこはもともと誰かが生活していた場所だからです。
人がいなくなったことで
草木や動物たちの世界が広がった。
その景色を
ただ「自然が豊かになった」と表現することには
私は少し違和感があります。
その草木の下にも
その静かな景色の中にも
かつてそこに暮らしていた人たちの生活がありました。
あの日は「また帰る」と思って出た
あの日
私たちは
もう家に帰れないと思って家を出たわけではありません。
また帰る。
そう思って出たんです。
だから
買い直せるものは置いていった。
必要なものだけを持って出た。
それが十数年たっても
簡単には戻ることのできない場所になるなんて
誰が想像できたでしょう。
今回久しぶりに行ってみて
改めて感じました。
原発事故は
2011年で終わった出来事ではありません。
今も、その続きを生きている場所があります




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